日出城

更新日:2022年03月31日

日出城(ひじじょう)(暘谷城/ようこくじょう)

日出城は、日出藩3万石(後に2万5千石)を統治した木下家の居城です。関ヶ原の合戦を経て豊後国速見郡内日出3万石を拝領(はいりょう)した藩祖木下延俊(きのしたのぶとし)は、慶長6(1601)年8月より翌2年にかけて日出城を築城しました。
日出城は、細川家による多大な援助を受けて築城され、城の縄張(設計)は延俊の義兄細川忠興(ほそかわただおき)、城廻りは家臣松井康之(まついやすゆき)、石垣においては家臣穴生理右衛門(あのおりざえもん)を棟梁に普請が行われました。この他、延俊の父家定の援助を受けて天守が築かれました。
日出城は、日出港を臨む独立した低台地上に築城された平山城です。南端の本丸を中心に、二ノ丸・三ノ丸・外郭が囲う三重の構えをなし、郭境には堀をめぐらし、要所には城門が設けられました。二ノ丸・三ノ丸には家臣の武家屋敷、外郭には武家屋敷に加えて商家も配されました。
明治時代を迎え、日出藩が廃藩となると、日出城も廃城令により破却処分となりました。しかし、現在においても、本丸跡石垣や隅櫓(鬼門櫓)や裏門櫓、藩校致道館などの文化財をはじめ、社寺、町並、道路などの随所に往時の日出城の名残が色濃く息づいています。
なお、日出城は別名「暘谷城」とも呼ばれ、これは日出藩主3代木下俊長が中国の古典『書経(しょきょう)』或いは『淮南子(えなんじ)』にみる「暘谷」の一節より命名したものと伝えられています。

暘谷城址と記された石碑のアップと背景に白い壁の建物が映っている画像

日出城(暘谷城)址

日出城址天守台の石垣を下側から見上げた画像

日出城(暘谷城)址

天守台から望む景色で海が広がっている画像

天守台からの眺望

指定名称

暘谷城趾

指定区分

日出町史跡

アクセス

JR暘谷駅より徒歩約10分

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