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更新日:2023年07月14日

平常展 日出の歴史と帆足萬里

原始

「日出町の歴史の幕開けは、旧石器時代にさかのぼります。「早水台遺跡」(大字川崎)は、前期旧石器(3万年以前)の存否をめぐる論争の舞台となり、考古学史上、極めて重要な遺跡です。

古代

日出町には、国東六郷満山を開いたとされる仁聞菩薩ゆかり の寺院が数多く所在しました。「願成就寺」(大字藤原)は六郷満山寺院の一つで、神仏習合の歴史・文化に彩られています。

中世

大友氏が豊後国を支配した中世、日出の武士は、大友氏の本拠府内の北の要「鹿鳴越城」(大字豊岡)を防備・死守しました。
大友氏の除国後、毛利重政(兵橘)ら豊臣家の代官が日出を治め、慶長元(1596)年の「慶長豊後地震」は、日出にも甚大な被害をもたらしました。

近世

慶長6(1601)年より270年、木下家一六代が日出三万石(後に二万五千石)を治めました。藩祖延俊は、豊臣秀吉の正妻おね(高台院)の甥にあたり、藩主歴代は豊臣一族としての誇りを胸に近世を生き抜きました。
日出町には、森藩久留島領の「頭成」や幕府領の「小浦」「真那井」などの飛び地も所在し、海上交通の要衝の港町として栄えました。

豊後三賢 帆足萬里

帆足萬里(1778~1852)は、儒学や自然科学、医学など、あらゆる分野に精通した学者で、主な著書に『窮理通』(自然科学書)』『東潜夫論』(政治思想書)が挙げられます。
萬里は私塾「西崦(山に奄)精舎」(大字南畑)などで、様々な分野にわたる人材を育てました。

 

近代

近代化の進展とともに、馬上金山(杵築市山香町)採掘に成功した成清博愛(1864~1916)は、その経営拠点を兼ねた別邸「的山荘」を築きました。
太平洋戦争末期には、特攻兵器「回天」の訓練基地「大神突撃隊」(大字大神)が開隊し、日夜、別府湾にて訓練が行われました。

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社会教育課 歴史資料館・帆足萬里記念館
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